思ったことをそのまま書きます。うまく書けないかもしれず、読みにくいかもしれませんが。
三浦春馬さんの訃報を受けて、とてもショックを受けております。
好きな俳優さんでしたし、出演されている映画も拝見していました。
イケメンだし、笑顔が素敵で。。優しくて。
あれだけご活躍で、様々な仲間や関係者も在れたことでしょう、、家族や恋人、誰でもいいから、たったひとりを支え、救えたりできなかったものなのか。
人間むなしくなります。
数々の追悼コメントの中で、幾つか目に留まりました。
・なんでだよ。相談してほしかった。
・こないだ飲んだばかりじゃないか。カラオケ行ったじゃないか。どうして言ってくれなかった。
・気づけてやれなくてごめん。
人はひとりなんですよ。
追い詰められた人は、なおさら、最後の最後は自分しかいない。
そうそう言えないんじゃないかな。
言わないよ。
みんなで集まってワイワイ飲んだり、カラオケ行ったり…
それはそれで楽しいですよ。有意義な時間です。いいことです。
彼らに相談するでしょうか。
はたまた、
僕が悩んでいるときに、そうじゃないと思う、似合わない、そうやって助言してくれる友達。時には厳しく意見してくれる、手助けしてくれる友達、家族、パートナー。
それぞれにあろうかとは思います。ありがたい存在です。
それでも最後は自分しかいないんです。
いっしょに居たときは楽しめたよ、救われたよ、ありがとう、ていう事実があって、どうして言ってくれなかった、とか、気づいてやれなくてごめん、とか、そんなこと思わなくていいからって
どんな過ごし方をしても、たとえどんなに気を配って過ごしたとしても、後悔のない別れはないでしょう。
たとえ後悔しても、それでも、後悔のないように接していこう。大切なひとへ。
自分の直感を信じて。
そう思います。
これを読んだら 売名行為だ、とか、 ポエムはじまった とか 言う人間は言うんですよ。 そうして息を吐くように毒を吐いて、個人の心や発言の機会・自由を奪っていく。そういうのは無くならない。
それでも、それぞれが、感じたことや思ったことは発信していかないと世の中つまんないでしょう。自分の頭の中だけで繰り返していたって辛くなりますよ。
弱い人、強い人、気にしない人、気にする人、色々いってますが、ほんとのところ心は本人にしかわかりません。本人でもわかっていないってこともある。
SNSは自分に合ったやり方でいいでしょう。
そんなつもりじゃ、、は通らない。感動したり感激したりしたら声に出やすいけど、傷ついたひとは声に出さない、声が出にくい。
謝る機会すら失くしてしまう。
そういうのは気にしないようにしてる。
インターネットがいつまでもそんな交流の場でないことを祈ります。
※ただ、いわゆる炎上商法については、政府も各SNSツール提供側も、厳しく禁止・規制・排除・罰則をお願いしたいです。それで注目されて本人してやったりなんてあんまりです。
三浦さん。
雑音のない、穏やかで、静かなところで、ゆっくりと休めるといいですね。
お疲れ様でした。ありがとうございました。